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ボン教の歴史と教え

◇ボン(Bon)?プン(Pun)?ポン(Pon)? 

 仏教伝来より前からチベットに伝わっている総合宗教は、チベット文字で「བོན」と表記されます。アルファベットでは、「Bӧn」と表音・表記出来ます。いづれにしても、日本語には存在しない発音であることに変わりはありません。プン教(Pun)やポン教(Pon)と表音・表記されることもありますが、私はボン教(Bon)と表音・表記することを提案します。なぜならば、欧米でプン教やポン教と言っても、通じにくいからです。ボン教と言えば、欧米でもチベットでも通じやすいようです。ボン教はすでに、チベットの国境を越えた国際的な宗教文化です。日本国内でしか通じないやり方を貫くよりも、国際的に受け入れられている、標準に合わせることの方がメリットが多いと考えるからです。

 

 

◇ボン教と仏教の違い

  ボン教も仏教もその教えの中心は、生きとし生けるものを苦しみから救い出すことです。ボン教にも仏教と同じく、中観論や唯識論や宇宙論や戒律がありま す。一見したところ、ボン教と仏教はとても似ているように見えるかも知れません。しかし、一番大きな違いはその伝統と系譜が異なることです。仏教はゴータ マ・シッダールタによってインドで始まった宗教です。一方、ボン教は今から一万八千年前に中央アジアで、トンパ・シェンラッブが始めました。中央アジアで 生まれたボン教とインドで生まれた仏教は、チベットの中で出会いました。そして、どちらもチベットの大地の中で育まれ、お互い影響しあいながら発展した歴 史を持っています。

 

 

◇ボン教は外来の宗教である

 ボン教は大きく三種類に分類できます。古代のボン、永遠なるボン、新しいボン。中央アジア一帯で行われていた呪術を古代のボンといいます。トンバ・シェ ンラップの教えである永遠なるボン(ユンドゥン・ボン)はオルモルリングで生まれ、主にシャンシュンを通ってチベットにやってきました。トンパ・シェン ラッブは、生贄などを行うシャーマニックな土着宗教を良しとせず永遠なるボンを広めました。ボン教迫害の時、仏教に歩み寄り生まれたのが新しいボンです。 新しいボンは永遠なるボンの経典に依拠しながら、声明や儀礼の仕方で若干、ニンマ派の影響を受けていると指摘されています。近年新しいボンは永遠なるボン に回帰する動きもあります。一般にボン教といわれるのは永遠なるボンですから、ボン教はチベット以外のところからやってきた外来の宗教と言えます。

 

 

◇ボン教の創始者はトンパ・シェンラッブ・ミオである

 トンパ・シェンラッブは、今から一万八千年前オルモルリングに王子として生まれたあと、出家して僧となりました。トンバ・シェンラップの一生は生誕から 逝去までを12に分けて、ゼパ・チュンニ(12の善行)と一般に呼ばれます。トンパ・シェンラッブは人間として生まれる前からブッダ(仏陀)でした。ま た、チベットに来たこともあります。ラサから西方に車に乗って一日行った所にコンボ地方があります。このコンボにあるボンリ(ボン山)は、トンパ・シェン ラッブが訪れたと言う事で、今も巡礼する人が絶えません。また、トンパ・シェンラッブの直系の子孫といわれる人が今でも生存しています。ちなみにボン教の イダム(守護尊)はすべてトンパ・シェンラッブの化身です。

 

 

◇オルモルリングの地理

 かつてチベットの西に、広大なタジクという国がありました。タジクと言う国名の由来は、タ(トラ)とジク(ヒョウ)が多数棲息していた事からきていま す。それは、現在のタジク共和国とは無関係です。タジクは世界の2/3を占めた国で、その国の首都がオルモルリングです。チベット学者の中によって、オル モルリングを西チベットカイラス山の付近に同定する試みをする事もありますが、ボン教徒はその考えに同意しません。オルモルリングは神秘の国で、地上には 無いかもしれません。オルモルリングをシャンバラと同一視する人もいます。

 

 

◇シャンシュン王国

 シャンシュン王国は、実在した国です。西チベットのカイラス山一帯に存在しました。その首都はキュンルン・ンゥルカル(ガルーダ谷の銀城)といい、その 廃墟は今でも残っています。シャンシュン王国の最後の国王リミギャは、チベットの王ソンツェンガンポにより暗殺され、シャンシュンはチベットに併合されま した。ボン教の経典は元々シャンシュン語で書かれていました。ボン教のマントラはシャンシュン語から作られているため、現在ではその意味を知るのはとても 困難です。

 一般にはチベットには元々文字は存在せず、トンミ・サンボータがインドの文字を模範にチベット文字を作ったと言われています。しかしボン教が伝える歴史 によれば、それよりも遥か昔に、チベットではシャンシュン王国の文字であるシャンシュン文字が使われていたと言われています。シャンシュン語の形跡は、現 在もインドやネパールの山岳民族の言語の中に実際に見つけ出す事が出来ます。しかし、まだシャンシュン文字は発見されていません。

 

 

◇黒ボンと白ボン

 白ボン・黒ボンというのを、聞いたことがあるかもしれません。しかし、実際はそのどちらも存在しません。ボン教の事を差別した表現なのです。仏教化する 前のボン教を黒ボン、仏教化したあとのものを白ボンと言っているようなのですが、誤った理解です。また、ボン教はシャーマニズムだと言う考えが今だに流布 していますが、ボン教は黒魔術や血を使った儀礼などをしません。チベットの文化の中には実は、ボン教でもなく仏教でもなく、シャーマニズムに比較できる民 間宗教がたくさん存在します。ボン教はそうした民間宗教と混同される事があるのです。

 ボン教はそれ自体システマティックで洗礼された宗教文化ですが、一方でボン教の中には古代中央アジア文明の遺産を引き継いでいるところもありま す。たとえば、五色の祈りの旗であるルンタや、ツァムパを使って作るトルマや、赤色のスタイリッシュな僧衣などは、インドにも上座部仏教の東南アジア諸国 にも見当たりません。これらは元々はボン教のユニークな文化に源泉を持っているのです。

 

 

◇ボン教の経典

 ボン教にはブッダ自身の教えであるカンギュル178巻(内10巻は新しいボンの経典)と、注釈書であるテンギュル380巻があります。チベット仏教の各 宗派と同じように、ボン経にも埋蔵経(テルマ)が伝わっていますが、チベット仏教の埋蔵経とはその趣が大分異なります。ボン経の埋蔵経のほとんどがボン経 迫害の時、その教えを守るために一時的に隠したものなのです。何もない虚空や夢の中から発見するということではなく、一時期壁や地面の中に隠してあった経 典を、言い伝えに従って探し当てたり、まったくの偶然に発見したりしたものです。

 また、ボン経にはニェンギュというユニークな系統の経典があります。ニェンギュとは口伝といった意味で、人間の口から口へと伝承されてきた系譜の 事です。今まで一度もその系譜が、途絶えたことがないものもあります。重要なボン教ゾクチェン経典であるシャンシュン・ニェンギュは、中でも有名です。

 

 

◇ボン教のトゥルク(活仏)制度

 確かにボン教にも偉大なラマの生まれ変わりである、トゥルクと呼ばれる方がいらっしゃいます。しかし、本来トゥルクとは高い霊性の達成を完成した人がそ の能力を備えたまま人間の世界に再び生まれ変わることを言うのです。かつてはタピリツァのような本当のトゥルクたちも存在していました。本当のトゥルクの中には場合によっては自らその素性を明かすことが無く、人目に付かない方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

◇ボン教徒は仏教をいかに捉えているか

 一般にボン教徒はとってもオープン。お釈迦様のことも仏教のことも、すばらしいと敬意を表しています。ボン教のお坊さん達はもちろんボン教の経典を主に勉強していますが、仏教の各派の参考書ですばらしい物があれば参照します。仏教に対して偏見を持つ事はありません。

 そもそも昔のチベット人は、ボン教もチベット仏教も垣根なく信仰していたようです。今でもネパール側のヒマラヤにあたるドルポでは、供養の時にはボン教のお坊さんと仏教のお坊さんの両方にお願いしているとの事です。

 

 

◇ボン教のゾクチェンとニンマ派のゾクチェン

 ゾクチェンは主にボン教とニンマ派に伝わる古くユニークな教えです。根本的な見解(哲学)と修行自体は同じようです。ニンマ派のゾクチェンでは、 セムデ、ロンデ、メンガキデやトゥゲル、テクチュという考え方が用いられていて、教えが細かく分類されている印象を受けます。一方、ボン教のゾクチェンで は、ゾクチェンと言うありのままの心に焦点を絞っています。

 またニンマ派の歴史で重要な役割を果たしたヴァイローチャナはもともとボン教の家系出身で、ニンマ派のゾクチェン経典だけでなく、ボン教のゾク チェン経典も翻訳している事は有名な話です。ボン教のテルマの中には、サムイェに安置されていたヴァイローチャナの像の後ろから発見されたものもありま す。

 

 

◇ボン教密教の加行

 ボン教の密教を学ぶものはまず加行を完成しなければなりません。最も一般的な加行は、アティというテンギュルに基づいたブム・グです。帰依から始まり、グルヨーガまで9種類の課題をそれぞれ10万回づつ行うので、ブム・グ(90万)といいます。

 

 

◇ヤントン・ラマ

  ヤントン・ラマは、現在ネパールのドルポ地方に存在するボン教の名家の家系です。一時二つに分かれていたボン教ゾクチェンの系譜を二つとも継承し、ゾク チェンの系譜をひとまとめにした功績があります。チベット人は黄色人種ですが、このヤントン・ラマの家系に属する人々の肌はとても黒い色をしています。そ れについてこんな伝説が残っています。ヤントン・ラマは瞑想の達人でしたので、空も自由に飛ぶことが出来ました。ある日ヤントン・ラマはついつい高く空を飛 びすぎてしまいました。あまりに高く飛びすぎたため太陽に近づきすぎ、その肌は真っ黒に焦げてしまいました。それ以来ヤントン・ラマの家系は肌が黒いんだ ということです。ネパール北部の地域には、ヤントン・ラマにまつわる聖地やヤントン・ラマの足跡などがたくさんあります。ヤントン・ラマの子孫は現在でも 存在します。

 

 

◇ボン教のお祭

  • ロサール(チベット新年) 1/1-3(チベット暦。以下同じ)  
    このロサールは元々モンゴル人のローサルです。本当のチベットのロサールはト ンパ・シェンラッブの聖誕祭に行われていたそうです。今でもチベット辺境ではトンバ・シェンラップの聖誕祭に新年を祝うそうです。

     

  • ニャンメ・シェーラップ・ギャルツェン聖誕祭 1/4-5 
    僧院を灯明で飾りとてもきれいなお祭りです。深夜のお茶会もあります。

     

  • 十万倍の供養 1/14-15 
    この日に積んだ功徳は十万倍になるといいます。一日中供養や読経が続きます。

     

  • テンパ・サンドゥッブ 1/22-30 
    テンパ・ナムカのお祭り。

     

  • マセンの供養祭 2/ 
    砂マンダラを建立し、一週間供養を行います。最終日にはオールナイトで儀礼を行います。

     

  • サダク・ニェラム・デシ・チャダク 2/11-12
    次の日から始まる儀式の準備。

     

  • シュンサン・テトゥンギュ 2/13-16 
    供養の儀式をします。

     

  • カトゥップ(苦行) 8/1-7 
    トンパ・シェンラッブを見習って苦行をするお祭り。供養の儀式をする他断食の修行も行います。

     

  • トンパ入滅祭 9/30 
    トンパ・シェンラッブの涅槃のお祭り。

     

  • トンパ聖誕祭 12/15 
    トンパ・シェンラッブのお誕生日。シャンシュン王国の新年でもあります。

     

  • プルバの声明試験の儀式。 12/25 
    特別な声明の伝授が行われます。

     

  • グトル大祭 12/27-29 
    一年の穢れを落とし新年を迎える準備をします。プルバの経典を読みます。

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