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ボン教の歴史と教え

トンパ・シェンラッブ

ボン教の始祖 トンパ・シェンラッブ

トンパ・シェンラッブの生涯

三人の兄弟

 

 

  

 かつて、三人の兄弟がいたと伝えられている。ダクパとセルワとシェーパである。この三人はスィパ・イェーサンという名の天界で、ボン教聖者ブムティ・ローギ・チェーチェンの元で、ボン教を学んだ。

 

 

 

 勉強が終わった時に、慈悲のブッダであるシェーンラ・ウーカルのもとを訪ね、苦しみに沈み、悲しみに暮れる生きものを救う方法について質問した。シェーンラ・ウーカルは三世に渡たり人を導くようように助言した。

 

 

 
 この助言に従い、長兄のダクパは過去世で使命を果たした。次男のセルワはシェーンラブという名に変えて、師となり、現世で生きものを導いた。末っ子のシェーパは次の時代に現れ、生きものに教えを説くことになる。

 

 

 ボン教によれば、18,000年前オルモルンリンの地に大師トンパ・シェーンラッブ・ミウォチェが誕生した。トンパとは師の意味、シェーンラッブ・ミウォチェはシェーンの偉人という意味。オルモルンリンは中央アジアに当たる大国タジクにあった。

 

 

 
 オルは不生、モは不衰退、ルンは創始者トンパ・シェーンラッブの予言、リンは彼の永遠の慈悲を意味する。オルモルンリンは存在世界の1/3を占め、チベットの西に位置した。

 

 

 

 空の元咲く八弁の蓮の地形をしていると記され、スポーク八本の車輪のように見える。その中央にはユンドゥン・グッツェ(九層の卍)山がそびえる。九層の卍とはボンの九乗を現し、それについては後で詳述する。

 

 

 

 ユンドゥンと呼ばれる卍は、ボン教の智慧が不変かつ破壊不可能であることのシンボルだ。ユンドゥン・グッツェ山の麓から四つの川が湧き出し、それぞれ四方に流れ出している。その山は寺院や都市や公園に囲まれている。南にはバルポ・ソギェ宮殿があり、そこでトンパ・シェーンラッブが誕生した。

 

 

 

 西と北にはトンパ・シェーンラッブの妻達と子供達が住む宮殿がある。東にはシャムポ・ラツェ寺院がある。宮殿、河川、公園とユンドゥン・グッツェ山からなる中央部分は、オルモルンリンの内院だ。中間部は12都市、4河川から成り、4河川は四方に位置する。そして周辺部だ。この三地域は大洋と雪山連峰に取り囲まれる。

 

 

 

 トンパ・シェーンラッブは王子として生れ、若くして結婚し子供をもうけた。31歳の時に世俗の生活を捨て、孤独な生活を送り、教えを説いた。その生前中ボン教を広める努力は悪魔キャッバ・ラグリンに阻まれた。トンパ・シェーンラッブの仕事に対して破壊や妨害するため戦いを挑んできたが、最後には改心し弟子になった。 

 

 

 
 盗まれた馬を奪い返すためにその悪魔を追跡し、トンパ・シェーンラッブは現在の西チベットに到着した。それが唯一のチベット訪問だった。その時儀礼方法などの教えを授けたが、概して人々はそれ以上の教えを受ける準備ができてないことが分かった。チベットを離れる前に、「時が熟せば、すべての教えがチベットで栄えるだろう」と予言した。トンパ・シェーンラッブは82歳で入滅した。

 

 

 

 トンパ・シェーンラッブの伝記は三種類存在する。最古かつ最短編のものはドドゥ(格言の要約)。二番目のものは二巻本のゼルミク(見通す目)と呼ばれる。このふたつはそれぞれ10世紀と11世紀に埋蔵経として発見された。三番目のものは12巻からなる最長編のジジ(栄光)だ。この経典はニェンギュと呼ばれる口頭により伝承されたもので、14世紀のロデン・ニンポにより書き取られた。(注1)

 

 

 

 トンパ・シェーンラッブにより説かれ、三つの経典に記された教えは弟子達によりシャンシュン、インド、カシミール、中国やチベットといった周辺諸国に広められた。その伝授は成就者や、シャンシュン語からチベット語へ翻訳した学者により守られた。

 

 

 

 トンパ・シェーンラッブの数多いる弟子の中でも、ムチョ・デムトゥクが筆頭に挙げられる。彼自身多くの弟子を取ったが、その中で最重要なのが6大翻訳者だ。それはタジク出身のムシャ・タヘ、シャンシュン出身のティトック・パツァ、 東シャンシュンのスンパ出身のフルー・パレック、インド出身のラデック・ンガドゥル、中国のレグタン・マンポ、ポルモと呼ばれるモンゴル出身のセルトン・チェージャムだ。

 

 

 

 彼らの存在はボン教の普及において特に重要だとされている。なぜなら帰国し教えを説く前に、経典をそれぞれの国の言語に翻訳したからだ。

 

 

 

      (注1)

ゼルミクは1965年、ジジは1967-69年にドランジのボンポ・ファンデーションで出版された。ジジを抜粋したものはスネルグローブにより編集・翻訳されている。(D.L. Snellgrove, The Nine Ways of Bon, LondonOriental Series, vol. 18, London 1967.)ゼルミクの1から7章までと、8章の部分はフランケにより英訳されている。(A.H. Franke, 'A Book of theTibetan Bonpos', Asia Major, Leipzig 1924, 1926, 1927, 1930; AsiaMajor (New Series) 1, London 1949. A summary of the contents ofgZer-mig has been made by H. Hoffmann in The Religions of Tibet,London 1961, 85-96.)

 

 (シェンテンのHPより)

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