top of page
ボン教の歴史と教え
西チベットの風景
シャンシュン王国
最初のボン教経典はシャンシュン語からチベット語へ翻訳された。今日私達が知るボン教経典群はチベット語で書かれている。しかし、その多くの経典、それも特に年代の古いものにはシャンシュン語で書かれた経典名と、時にはシャンシュン語の文章まるまるを含んでいる。
8世紀までシャンシュンは独立した王国として存在した。その領土は中央チベットより西側、西チベットと呼ばれる地域から成り、西はギルギットから東はナムツォ湖、北はコータンから南はムスタンまでの広大な領土にまたがっていた。
首都はキュンルン・ングルカル、つまり“ガルーダ谷の銀城”と呼ばれ、その廃墟はカイラス山南西、上サトレジ峡谷に眠っている。シャンシュン人はシノ・チベット語族に属すチベット-ビルマ系の言語を話した。
シャンシュン王国は王家が支配したが、その王朝は9世紀に終わりを迎えた。最後のリミンチャ王はチベット王の命令で暗殺され、チベット軍により併合された。それ以来シャンシュンは次第にチベット化し、その言語、文化、多数の宗教はチベット文化の一般的な屋台骨へと統合された。
地理的にギルギットやコータンといった中央アジアにおける文化の中心地に近かったため、宗教上の概念や考え方の多数がシャンシュンを経由してチベットにもたらされた。
(シェンテンのHPより)
bottom of page