top of page

ボン教の歴史と教え

チベット王ティソンデツェン

迫害

 ボン教は長いチベットの歴史上、二回迫害にあった。最初の迫害は紀元前7世紀、ティグム・ツェンポ王の治世に起きた。原因のボンの教えがほとんど廃止され、その修行者の大部分が追放された。しかし多数の経典が埋蔵経典として隠されることに成功し、後世テルトン(埋蔵教発掘者)により再発見されることになった。

 

 

  
 ますます高まる仏教への関心、仏教の国教への制度化、779年のサムイエ僧院建立により、ボン教は次第に勢いを失った。さらに深刻なことにボン教を根絶やしにしようと企てられた。

 

 

 

 この企てがボン教に対する第二の迫害で、ティソン・デツェン王により実行された。何世代にもわたりボン教に従ってきた貴族のボン教徒と、特に一般人のボン教徒に支持され、ボン教は生き残った。

 

 

 

 多数のボン教司祭者が中央チベットから追放されたこの時期に、消滅を恐れ再度経典を埋蔵し、来るべき世代の為に保存した。当時ボン教の第一人者だったデンパ・ナムカ(注4)は、ボン教に対する第二の迫害中、重要な役割を果たした。

 

 

 

 彼は王が催した魔術合戦で仏教徒を相手に魔術合戦の先頭に立った。ボン教徒側は負け、命を奪われるのを恐れ、チリジリになるか、仏教に改宗せざる負えなかった。デンパ・ナムカが殺害を恐れ見た目上仏教を受け入れたのは、秘密裏にボン教の教えを保存するためだった。こうしてボン教は絶滅から救われたのだ。

 

 

 
 (注4)

デンパ・ナムカはボン教史上人気を集める人物だ。八巻に及ぶ彼の伝記は1983年パツァン・ソナム・ギャンツェンによりデリーで出版された。彼には二人の息子がいたとされる。ボン教ラマのツェワン・リグジンと、有名な仏教ラマのパドマサムバヴァである。(cf. Karmay, The Treasury of Good Sayings, Oxford University Press, London 1972: xxxii n.4, を参照)

 

 

 
(シェンテンHPより)

bottom of page