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ボン教の歴史と教え

マンダラ宇宙

復活

 8世紀から11世紀にかけて、ボン教は主に隠れて実践された。西暦1017年(注5)は注目すべきボン教復活の年だ。シェンチェン・ルガ(996-1035)による多数の埋蔵経典の再発見からそれは始まった。

 

 

 

 その発見によりボン教は完全に体系的な宗教として再出現した。シェンチェン・ルガはシェン氏族出身で、トンパ・シェンラッブの息子であるコンツァ・ワンデンの子孫だ。

 

 

 

 この重要な氏族は今もチベットで生存している。シェンチェン・ルガには多数の門弟がいた。その中でも三人の弟子に異なる教えの伝承を委ねた。

 

 

 

 第一の弟子、ドゥチェン・ナムカ・ユンドゥンはドゥ氏族出身で、チベットからドゥシャ(ギルギット)へ移住した。彼は宇宙論と形而上学を委ねられた。最終的にその弟子や一族出身のドゥジェ・ユンドゥン・ラマが1072年にツァン地方にイェルウェンサカ僧院を建立した。

 

 

 

 イェルウェンサカ僧院は1386年まで習得の一大拠点だったが、洪水により大きなダメージを受けた。イェルウェンサカ僧院衰退にもかかわらず、ドゥ氏族はボン教を援助し続けた。しかしこの家系は19世紀に断絶を迎えた。二度にわたりパンチェン・ラマの転生者が家系の中で発見されたからだ。

 

 

 

 第二の弟子、シュイェ・レクポはゾクチェンの教えと実践の保護を任された。彼はキカル僧院を建立した。シュ氏族は今もインドに生き残っている。

 

 

 

 第三の弟子、パトゥン・パルチョクは密教を守る責任を負った。パ氏族もまだ生き残っている。他に当時重要だったラマとしてム氏族のムケ・ツルティム・パルチェンがいる。彼はニェモ・ザンリ僧院を建立した。ニェモ・ザンリ僧院も哲学研究の拠点になった。この時期ツァン地方全体にボン教四大僧院と研究拠点が創立された。

 

 

 

(注5)
二十世紀を除く年代と、特に断りがない場合の年代はすべてニマ・テンジンによるチベット・シャンシュン辞典の中から引用した(『Sangs-rgyas-kyi btsan-rtsis ngo mtshar nor-bu'i phreng-ba zhes bya-ba-bzhugs-so』, The Bonpo Foundation, Delhi 1965, 23-40.)。これはペル・クヴェルネにより『Chronological table of the Bonpo』(Acta Orientalia, xxxiii (Paris 1971): 33-48.)と言うタイトルで英訳されている。

 

 

 

(シェンテンHPより)

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